哲学

財布というジャンルには、それぞれ「根源的にあるべき形」があると考えています。薄い財布には薄い財布の、小銭の入る財布には小銭の入る財布の、あなたの暮らしのその用途に対する、過不足のない完全な答え。私たちの仕事は、形を発明することではなく、その答えを掘り当てることです。
彫刻家が「像は最初から石の中にいた」と言うように、あるべき形は、はじめからそこにある。型紙を引き直し続けるのは、それを探り当てる測量のようなものです。
そして、あるべき形を掘り当てた財布は——結果として、美しくなるのです。
一人の身体で、確かめる
その答えが本物かどうかを判定するのは、市場の声でも、流行でもありません。作り手である私自身の身体です。
カードをたくさん入れる財布を設計するときは、普段使わないカードを財布に入れ、その暮らしを実際に生きてみます。図面の上でどれほど美しくても、日々の使用のなかで指が一瞬でも迷う形は、まだ答えではない。そうやって、机の上ではなく暮らしの中で、一つひとつの形を確かめています。
形の最終判定は、設計者である私一人の身体に委ねています。答えを多数決にしないこと。一人の人間の暮らしで、妥協なく測り切ること。点と線の財布は、その厳密さに合わせて作られています。
私たちが決して作らないもの
点と線は、小さい財布だけのブランドではありません。カードの多い財布も、これから作ります。
ただ、決して作らないものがあります。それは、構造が機能に対して嘘をついている財布です。収納量に寄与しない体積。飾りのためだけの厚み。意味のない層の重なり。
一枚の革にも、一つの縫い目にも、そこに在る理由があること。私たちの言うミニマルとは、持ち物を減らすことではなく、財布の内側から嘘をなくすことです。
使いやすさが、最後に勝つ
設計を突き詰めると、ときに、計算上もっとも効率のよい構造と、手が心地よいと感じる形が、わずかに食い違うことがあります。
そのとき私たちは、迷わず手の側を取ります。財布は、人が毎日使う道具だからです。
けれど本当は、それで終わりにはしません。効率と使い心地が食い違うのは、まだ掘り足りない証拠だと考えているからです。両方が同時に満たされる形が、その下に必ず埋まっている。見つかるまで、型紙を引き直します。
空の財布は、まだ財布ではありません
多くの財布は、空の状態で撮影され、空の状態で美しく見えるように作られています。けれど、あなたの財布が空である時間は、人生に一度もありません。
だから点と線は、物が入った姿を設計します。カードが収まり、お札が入り、日々の中身を抱えたときにこそ整って見える佇まい。そして、開いた瞬間の景色まで。たとえば会計の場で財布を開いたとき、お札が丸見えにならないように——その一瞬にも品が保たれるように、内側の見え方まで仕立てています。
外観の美しさは、いわば空の財布の美しさです。私たちが本当に作りたいのは、あなたが使っているあいだの、時間の中の美しさです。
革を選ぶ理由
正直に言えば、私たちは「革だから」物作りをしているのではありません。
薄く仕立てたときの強度。そして、年月を重ねたあとの美しさ。この二つを同時に満たす素材が、革のほかに存在しないから、革を使っています。素材への愛着ではなく、道具の答えとしての選択です。
なかでも私たちは、全ての財布に薄い革を使います。薄い革は、経年の跡がもっとも隠せない、嘘のつけない素材です。ごまかしの効かない革の上でこそ、構造の誠実さは証明されると考えています。
この財布の価値は、まだ全部は見えていません
美しく育つこと。それは購入時には見えませんが、道具にとってもっとも大切な機能の一つだと私たちは考えています。
だから点と線の財布は、数年後を設計しています。年月を経ても、設計の都合による不自然な跡や脆さが表に出ないように。革に刻まれていくのが、作り手の妥協の記録ではなく、あなたの暮らしの記録だけであるように。
このこだわりに、おそらくほとんどの方は気付きません。それでいいのです。むしろ、気付かれないことこそが、この設計の完成だと思っています。